2012年05月14日
人と人をつなぐ
昨日は、祖父の十九回忌、祖母の七回忌の合同法事でした。
子供の頃は、お正月やお盆には祖父母の家に親戚が集まって、
食事やおしゃべりをして過ごしたものでしたが、
私たち孫が大きくなるにつれ、集まりはだんだん減り、
今では冠婚葬祭の時のみになりました。
従姉妹たちはほとんどが嫁ぎ、その子供たちは、
初めて会うのに学生服を着ていたり、
「この人誰?」という顔で、私を見上げていたり。
親のそばに居ないと、どの子が誰の子か、こんがらがったり(私)。
そうこうしているうちに、読経が始まり、
足のしびれと戦いながら、祖父母の生前の姿に思いを馳せました。
けれど、90数年分のほんの数十日分かの姿しか、私は知りません。
祖父母の人生は一体どんなだったのだろう…?
どんな生涯を送って、どんなことを感じていたんだろう?
何となくそんなことを思うと、祖父の、祖母の、子供の頃からの姿が、
何となく、次々に脳裏に浮かんでは消えていくような気がしました。
そして、何より強く感じたのは、
人は、亡くなってからも人と人を繋ぐ、ということ。
法事を通して、疎遠になっていた従姉妹やその子供たちにも会えて、
親戚と挨拶の言葉を交わすだけでも、その見えない血の繋がりに不思議に安心感を覚え。
日々の生活で疎遠になりがちな親族を、こうして集めて交流させて、
「よし、よし。」と、上から眺めて見守っている祖父母の姿が、
見えるような気もしました。
招いてくれた叔父と叔母に感謝です
子供の頃は、お正月やお盆には祖父母の家に親戚が集まって、
食事やおしゃべりをして過ごしたものでしたが、
私たち孫が大きくなるにつれ、集まりはだんだん減り、
今では冠婚葬祭の時のみになりました。
従姉妹たちはほとんどが嫁ぎ、その子供たちは、
初めて会うのに学生服を着ていたり、
「この人誰?」という顔で、私を見上げていたり。
親のそばに居ないと、どの子が誰の子か、こんがらがったり(私)。
そうこうしているうちに、読経が始まり、
足のしびれと戦いながら、祖父母の生前の姿に思いを馳せました。
けれど、90数年分のほんの数十日分かの姿しか、私は知りません。
祖父母の人生は一体どんなだったのだろう…?
どんな生涯を送って、どんなことを感じていたんだろう?
何となくそんなことを思うと、祖父の、祖母の、子供の頃からの姿が、
何となく、次々に脳裏に浮かんでは消えていくような気がしました。
そして、何より強く感じたのは、
人は、亡くなってからも人と人を繋ぐ、ということ。
法事を通して、疎遠になっていた従姉妹やその子供たちにも会えて、
親戚と挨拶の言葉を交わすだけでも、その見えない血の繋がりに不思議に安心感を覚え。
日々の生活で疎遠になりがちな親族を、こうして集めて交流させて、
「よし、よし。」と、上から眺めて見守っている祖父母の姿が、
見えるような気もしました。
招いてくれた叔父と叔母に感謝です

Posted by ハーモニアス at 09:00│Comments(0)
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